※春日山城 の続きとなります。
春日山城を散策し少し時間があったので、
「上杉謙信公銅像」から来た道とは違う道を通って
約20分掛けて歩いて行くと・・・。

林泉寺 山門に着きました!
入口で拝観料を支払い、入ってすぐの場所にありました。
簡単な解説
1497年、越後国の守護代であった長尾能景が
自身の父の十七回忌供養の際に曇英恵応という僧侶を呼んで創建しました。
創建後、長尾能景と子・長尾為景の保護を受けて長尾氏の菩提寺として発展し、
1536年に長尾為景が亡くなると、末子であった虎千代が預けられました。
預けられた虎千代は長尾景虎として元服するまで、住職であった天室光育から学問を学び、
上杉輝虎と改名してからは上杉氏の菩提寺となりました。
その後、上杉輝虎は当時の住職である益翁宗謙のもとで禅を学び、
1570年には剃髪し師の一字を取って「上杉謙信」と名乗るようになりました。
上杉謙信の死後、御館の乱を経て跡を継いだ
上杉景勝が保護していましたが、1598年に会津国へ転封した後に
1601年に出羽国米沢へ転封したことで、林泉寺も一部移転されてました。
それにより、春日山城下に残った林泉寺は衰退してしまいますが、
上杉景勝の後に入封した堀秀治によって再興され、
江戸時代になると改易となった堀氏の代わりに入封し
高田藩の藩主となった松平氏・榊原氏の菩提寺となりました。
1847年に2度の火事によって本堂と山門などが焼失してしまいますが、
1925年に山門が、1997年には本堂が再建されました。
現在では、これらの再建された建造物に加え、
春日山城の搦手門だったと伝わっている惣門や上杉氏を中心に
菩提寺としていた大名たちに関する展示物がある宝物殿があります。
また、本堂から少し離れた場所には
上杉謙信の墓所や川中島の戦いの戦死者の供養塔があり、
多く人が参拝や見学などで訪れています。
ゲーム内画面

ゲーム内画面は、このようにシンボルとして表示されます。
なお、入らなくてもタップすることはできます。
他の写真

表側を撮影した後、回って裏側も撮影しました。
なお、受付した場所の近くには惣門と呼ばれる春日山城から移築されたと伝わっている門がありました。

その後、「林泉寺」の境内を撮りました。
雨が降っていたのもあり、厳かな雰囲気に包まれていました。
アクセス
公共交通機関(駅①)
① 新潟駅 → 高田駅前 → 本町六丁目
・「バス」と「徒歩」で約2時間30分
②本町六丁目 → 中屋敷 → 現地(大手道入口:ゴール)
・「バス」と「徒歩」で約30分
公共交通機関(駅②)
① 上越妙高駅 → 本町六丁目
・「バス」で約20分
②本町六丁目 → 中屋敷 → 現地(大手道入口:ゴール)
・「バス」と「徒歩」で約30分
公共交通機関(空港)
① 新潟空港 → 新潟駅
・「バス」で約30分
② 新潟駅 → 高田駅前 → 本町六丁目
・「バス」と「徒歩」で約2時間30分
③ 本町六丁目 → 中屋敷 → 現地(大手道入口:ゴール)
・「バス」と「徒歩」で約30分
自家用車
① 上越IC → 現地(大手道入口:ゴール)
・高速道路を降りてから、約10分
終わりに
あれから、約3年ほど経ちました。
春日山城を散策した後だったので、
着いた頃には昼過ぎになっていました。
また、天候も雨の状態だったので
見学時間も短くなりました。
幸い、境内自体はそこまで広く無かったので、
短くてもじっくり見学することができました。
また、林泉寺の横には整備された道があり、そこに行くと「上杉謙信公の墓」など上杉氏を中心に春日山城や高田城に関係する人たちの墓がありました。せっかく来たので、それぞれ拝んでそれから家に帰りました。
この時は、時間の関係で宝物殿まで入りませんでした。
ですので、どこかのタイミングで再度行き
宝物殿の中まで入ってじっくり見学しようと思います。
・・・さて、今日はここまで。
次回も、お楽しみに!
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