七尾城【名城:No.34】

中部地方

2022年5月下旬、場所によっては梅雨入りとなるこの時期。
新幹線で「金沢駅」に着き、電車に乗り換えて約1時間30分で「七尾駅」に到着。
「七尾駅」からバスに乗って「城史資料館前」に到着し、そこから約5分掛けて歩くと・・・。

七尾城に着きました!最初に城の麓にある「七尾城史資料館」に行きました。

簡単な歴史解説

室町時代(築城と繁栄)

室町幕府三管領の1つである畠山氏の中で、能登守護を務めていた七尾畠山氏の
初代当主である畠山満慶が1428年(もしくは、1429年)に築城しました。

築城当時は、砦程度の規模で行政府に当たる守護所も山の麓にありましたが、
五代目当主の畠山慶致の頃に七尾城へ移転しました。
畠山義続(8代目)・義綱(9代目)の頃には戦国時代に突入し戦乱が続いたため増築され、
日本五大山城の1つに数えられるほど強固な城となりました。

安土桃山時代(畠山氏の滅亡とその後)

1566年に畠山義綱が家臣団によって追放されると、当主として畠山義慶が擁立されます。
ですが、1574年に畠山義慶は不慮の死を遂げてしまい、弟に当たる畠山義隆が
家督を相続しますが1576年に死去してしまい、畠山義隆の嫡子で
まだ幼かった畠山春王丸が擁立されました。

その後、越後国の上杉謙信が畠山氏に人質として差し出した上杉政繁を
次期当主として擁立し能登国の治安回復を行うという大義名分で
1576年に七尾城を包囲しました。
山城だったのもあり七尾城は1年に渡って持ちこたえましたが、
城内では重臣同士が織田派と上杉派に分かれて対立していました。
また、トイレの処理が間に合わなかったことで城内にて疫病が発生し、
擁立されていた畠山春王丸が死去してしまいました。
これにより対立が激化し、1577年に上杉派であった遊佐続光によって開城され、
上杉軍が侵入し七尾城は陥落しました。


その後、上杉謙信は七尾城救援に来た織田軍を手取川にて撃退しましたが、
その直後に急死してしまいます。
それにより、織田氏が反攻し七尾城を支配しました。
その後、城代として菅谷長頼が入城し政務に当たった後、前田利家が入城します。
ですが、この頃には山城の時代が終焉を迎えており、1589年に廃城となりました。

明治時代~現代まで

廃城となったまま放置されていましたが、前田利家が能登国に居た際に
早い段階で拠点を小丸山城に移したことで、石垣や曲輪といった遺構が
破壊されず数多く残っていました。
その為、山城の歴史上重要な拠点として1934年に国の史跡に指定されました。
2005年には地中レーダー探査による遺構調査が行われ、柱跡などが発見されました。
2024年に発生した能登半島地震によって石垣の一部が崩壊したものの
現在でも石垣や曲輪などの遺構を見学することができます。
また、麓には七尾城史資料館が造られており、七尾城の歴史について学ぶことができます。

他の写真

「七尾城史資料館」で七尾城の歴史について学んだ後、登山口へ行きました。
入って間もないところで写真を撮りましたが、すでに山道でしたw

少し歩くと、当時の堀切跡(?)に着きました。
なお、進んでみるとこのような跡が何度も入り組んであり、歩くのに苦労しました。

歩き続けて約1時間、「三の丸跡」にたどり着きました。
広い原っぱだけがあり、周りには土塁などもありませんでした。

近くにあった急な階段を登って少し歩くと、「二の丸跡」に着きました。
こちらはベンチがある広場で、ここから少しだけ景色を見ることができました。

さらに進むと「本丸跡」の手前に着きました。戦国時代の山城で良く見られる
「野面積み」と呼ばれる技法で造られた石垣がありました。

その後、近くにあった階段を登って「本丸跡」に着きました。
右側には1942年に建立された「城山神社」がありました。

そして、左側を見てみるとそこから能登半島を望むことができました。
この景色を見て、上杉謙信も感動したという言い伝えがあります。

「本丸跡」を降りて帰る際に、近くにあった「桜馬場跡」にも行きました。
この場所にある石垣は五段となっており、かなり迫力のある場所でした。

スタンプ設置場所と御城印販売場所

スタンプ設置場所:1.七尾城史資料館 ※休館日は、正面入口の軒先に設置されています。
         2.七尾市役所本庁1階正面玄関ロビー
         ※休日は、「市役所本庁1階警備室前」に設置されています。
御城印販売場所:1.七尾城史資料館
 ※受付にて購入できます。

アクセス

交通機関:1.東京駅から金沢駅まで「新幹線」で約2時間30分
     2.金沢駅から七尾駅まで、「電車」で約1時間30分
     3.七尾駅から「城史資料館前(バス停)」まで、「バス」で約15分
     4.「城史資料館前(バス停)」から現地(登山口)まで、「徒歩」で約5分
      ※登山口から「本丸跡」までは「徒歩」で約2時間掛かります。
       なお、車だと「本丸跡」近くに駐車場があり、約10分で到着できます。

終わりに

あれから、約3年ほど経ちました。
今回は、時間と予算に余裕があり、石川県の名城・続名城を制覇したいと思い行きました。

麓にあった資料館自体は規模は小さいですが、七尾城の歴史について詳しく書いてあったので
登山する前に行ったことで七尾城の規模やルートが分かりました。
それでもかなり遠かったので「本丸跡」に到着するまでにかなり時間が掛かってしまいましたw

しかも、たどり着いた時には夕方になってしまいました。
その為、5月だったので空気が澄んでいなかったのもあり、能登半島が見える場所での
景色が思いのほか綺麗に撮ることができませんでした。

あと、次の日には他の城にも行ってきました。
それについては、明日書こうと思います。

どこかのタイミングで再度行こうと思います。
その時は空気が綺麗な時に撮影しようと思います。
・・・さて、今日はここまで。次回も、お楽しみに!

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