2022年5月下旬、場所によっては梅雨入りとなるこの時期。
新幹線で「金沢駅」に着き、電車に乗り換えて約1時間30分で「七尾駅」に到着。
「七尾駅」からバスに乗って「城史資料館前」に到着し、そこから約5分掛けて歩くと・・・。

七尾城に着きました!最初に城の麓にある「七尾城史資料館」に行きました。
簡単な歴史解説
室町時代(築城と繁栄)
室町幕府三管領の1つである畠山氏の中で、能登守護を務めていた七尾畠山氏の
初代当主である畠山満慶が1428年(もしくは、1429年)に築城しました。
築城当時は、砦程度の規模で行政府に当たる守護所も山の麓にありましたが、
五代目当主の畠山慶致の頃に七尾城へ移転しました。
畠山義続(8代目)・義綱(9代目)の頃には戦国時代に突入し戦乱が続いたため増築され、
日本五大山城の1つに数えられるほど強固な城となりました。
安土桃山時代(畠山氏の滅亡とその後)
1566年に畠山義綱が家臣団によって追放されると、当主として畠山義慶が擁立されます。
ですが、1574年に畠山義慶は不慮の死を遂げてしまい、弟に当たる畠山義隆が
家督を相続しますが1576年に死去してしまい、畠山義隆の嫡子で
まだ幼かった畠山春王丸が擁立されました。
その後、越後国の上杉謙信が畠山氏に人質として差し出した上杉政繁を
次期当主として擁立し能登国の治安回復を行うという大義名分で
1576年に七尾城を包囲しました。
山城だったのもあり七尾城は1年に渡って持ちこたえましたが、
城内では重臣同士が織田派と上杉派に分かれて対立していました。
また、トイレの処理が間に合わなかったことで城内にて疫病が発生し、
擁立されていた畠山春王丸が死去してしまいました。
これにより対立が激化し、1577年に上杉派であった遊佐続光によって開城され、
上杉軍が侵入し七尾城は陥落しました。
その後、上杉謙信は七尾城救援に来た織田軍を手取川にて撃退しましたが、
その直後に急死してしまいます。
それにより、織田氏が反攻し七尾城を支配しました。
その後、城代として菅谷長頼が入城し政務に当たった後、前田利家が入城します。
ですが、この頃には山城の時代が終焉を迎えており、1589年に廃城となりました。
明治時代~現代まで
廃城となったまま放置されていましたが、前田利家が能登国に居た際に
早い段階で拠点を小丸山城に移したことで、石垣や曲輪といった遺構が
破壊されず数多く残っていました。
その為、山城の歴史上重要な拠点として1934年に国の史跡に指定されました。
2005年には地中レーダー探査による遺構調査が行われ、柱跡などが発見されました。
2024年に発生した能登半島地震によって石垣の一部が崩壊したものの
現在でも石垣や曲輪などの遺構を見学することができます。
また、麓には七尾城史資料館が造られており、七尾城の歴史について学ぶことができます。
他の写真

「七尾城史資料館」で七尾城の歴史について学んだ後、登山口へ行きました。
入って間もないところで写真を撮りましたが、すでに山道でしたw

少し歩くと、当時の堀切跡(?)に着きました。
なお、進んでみるとこのような跡が何度も入り組んであり、歩くのに苦労しました。

歩き続けて約1時間、「三の丸跡」にたどり着きました。
広い原っぱだけがあり、周りには土塁などもありませんでした。

近くにあった急な階段を登って少し歩くと、「二の丸跡」に着きました。
こちらはベンチがある広場で、ここから少しだけ景色を見ることができました。

さらに進むと「本丸跡」の手前に着きました。戦国時代の山城で良く見られる
「野面積み」と呼ばれる技法で造られた石垣がありました。

その後、近くにあった階段を登って「本丸跡」に着きました。
右側には1942年に建立された「城山神社」がありました。

そして、左側を見てみるとそこから能登半島を望むことができました。
この景色を見て、上杉謙信も感動したという言い伝えがあります。

「本丸跡」を降りて帰る際に、近くにあった「桜馬場跡」にも行きました。
この場所にある石垣は五段となっており、かなり迫力のある場所でした。
スタンプ設置場所と御城印販売場所
スタンプ設置場所:1.七尾城史資料館 ※休館日は、正面入口の軒先に設置されています。
2.七尾市役所本庁1階正面玄関ロビー
※休日は、「市役所本庁1階警備室前」に設置されています。
御城印販売場所:1.七尾城史資料館 ※受付にて購入できます。
アクセス
交通機関:1.東京駅から金沢駅まで「新幹線」で約2時間30分
2.金沢駅から七尾駅まで、「電車」で約1時間30分
3.七尾駅から「城史資料館前(バス停)」まで、「バス」で約15分
4.「城史資料館前(バス停)」から現地(登山口)まで、「徒歩」で約5分
※登山口から「本丸跡」までは「徒歩」で約2時間掛かります。
なお、車だと「本丸跡」近くに駐車場があり、約10分で到着できます。
終わりに
あれから、約3年ほど経ちました。
今回は、時間と予算に余裕があり、石川県の名城・続名城を制覇したいと思い行きました。
麓にあった資料館自体は規模は小さいですが、七尾城の歴史について詳しく書いてあったので
登山する前に行ったことで七尾城の規模やルートが分かりました。
それでもかなり遠かったので「本丸跡」に到着するまでにかなり時間が掛かってしまいましたw
しかも、たどり着いた時には夕方になってしまいました。
その為、5月だったので空気が澄んでいなかったのもあり、能登半島が見える場所での
景色が思いのほか綺麗に撮ることができませんでした。
あと、次の日には他の城にも行ってきました。
それについては、明日書こうと思います。
どこかのタイミングで再度行こうと思います。
その時は空気が綺麗な時に撮影しようと思います。
・・・さて、今日はここまで。次回も、お楽しみに!
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