※福井城 の続きとなります。
福井城を散策した後、そのまま福井駅に戻り特急に乗って名古屋駅に到着し、そのまま1泊しました。次の日、名古屋駅から普通列車に乗って約1時間10分で岩村駅に到着。
そして、約30分掛けていくと・・・。

岩村城に着きました!復元された「表御門」と「太鼓櫓」が見える場所から撮影しました。
簡単な歴史解説
鎌倉時代〜安土桃山時代(築城と三つ巴)
正確な年は不明ですが、1185年に源頼朝から遠山荘を拝領され赴任した
加藤景廉が築城したと伝えられています。
築城当初は、平坦部に城館を建てており、嫡男・加藤景朝が姓名を「遠山」に改名し、
以降も岩村遠山氏が支配していましたが、戦国時代になると
織田氏・徳川氏・甲斐武田氏による三つ巴に巻き込まれたことで、
現在のような山城が築かれました。
その後、織田氏の傘下となり1572年に当時の城主であった遠山景任が
跡継ぎを残さず亡くなると、織田信長は五男を岩村遠山氏の養子にし、
後見人として叔母・おつやの方を城主にしました。
ですが、同年に甲斐武田氏によって攻められ、おつやの方は
甲斐武田氏の家臣・秋山虎繁と婚姻する事で降伏し、
甲斐武田氏の支配下に置かれました。
この状況を快く思わなかった織田信長は、
1575年に甲斐武田氏を長篠・設楽原の合戦で打ち破った後に侵攻し、
城を奪還すると共に秋山虎繁・おつやの方を含め5名を逆さ磔にして処刑しました。
1582年、甲州征伐を経て団忠正が支配するようになりますが、
同年に起きた本能寺の変の際に彼は討死してしまい、
代わりに信濃国から戻った森長可が接収し支配します。
その後、1584年に起きた小牧・長久手の合戦で森長可が討死すると、
弟・森忠政が引き続き、彼の家臣・各務元正が城代として支配するようになりました。
(その際に、大改修工事が行われ現在の城郭になりました。)
1599年、森忠政の転封に伴い各務元正も転封となり、
代わりに田丸直昌が城主となりましたが、
翌年の1600年に起きた関ヶ原の合戦において西軍側として戦ったことで
戦後に改易となり、代わりに大給松平氏の松平家乗が入城し治めるようになりました。
江戸時代
江戸幕府が成立した翌年の1601年に岩村藩が立藩します。
その際、松平家乗は山頂にあった城主居館を城の山麓に移し、城下町を整備しました。
1645年、大給松平氏は転封となり代わりに丹羽氏が治めるようになりましたが、
1702年にお家騒動を起こしたことで転封となり、
再び大給松平氏が入封し明治維新を迎えるまで治めました。
明治時代~現代まで
1873年の廃城令によって廃城となり、大半の建造物が解体や移築され、
山城には石垣などしか残りませんでした。
また、藩主邸は解体されずに山麓にそのまま残っていましたが、
1881年に起きた大火災によって藩主邸も全焼してしまいました。
それ以降は放置されていましたが、昭和になり大東亜戦争終戦後も綺麗に残っていたため、
1957年に県の史跡として指定されました。
その後、1972年に藩主邸跡に「岩村歴史資料館」が開館し、
1990年には表御門・平重門・太鼓櫓が復元されました。
現在では、これらの施設に加え、山城には幕末に改修工事された「六段壁」や
井戸などが残っており、散策や見学することができます。
また、城下町も綺麗に残っており、城跡も含め多くの観光客が訪れ賑わっています。
他の写真

「表御門」から少し歩くと登山口に着きました。
写真のように綺麗に整備されており、歩きやすく登るのにも苦労しませんでした。

道なりに登って行くと「初門」に着きました。
ここが岩村城の最初の門ですが、現在では排水溝のような遺構だけとなっていました。

その後、さらに進んでいくと「一の門」にたどり着きました。
草が生い茂っていますが、左右には石垣でできた「櫓台」がありました。

さらに進んで行くと「畳橋」に着きました。名前の通り、折り畳むことができる橋で
右側の石垣の上に「三重櫓」を建てて守りを固めていたそうです。

さらに登って行くと「霧ヵ井」と呼ばれる井戸がありました。
この井戸から霧が出て敵の侵攻を妨げたという伝説が残っています。

「霧ヵ井」の近くには「八幡曲輪跡」と呼ばれる曲輪跡に着きました。
写真にある階段を登った先に「八幡宮」がかつて建っていましたが、
現在では「霧ヶ城龍神社」が建っていました。

「八幡曲輪跡」を去り少し歩いて行くと「六段壁」と呼ばれる石垣が見えてきました。
この石垣は、江戸時代の大改修工事を経て現在の形になり、
目の前に行くとあまりの大きさに圧倒されました。

その後、「六段壁」の近くにあった階段を登ると「長局埋門跡」に着きました。
この門の階段の先に「本丸跡」がありました。

「長局埋門」を抜けて登って行くと、「本丸跡」に着きました。
現在では写真のような広場となっており、付近には「石碑」などがありました。

その後、「本丸跡」の近くにあった「埋門跡」を通り、
さらに奥へ行くと「南曲輪跡」に着きました。
なお、近くには「出丸跡」があり、そちらは駐車場や休憩所として整備されていましたが、
こちらは整備されずそのままの形で残っていました。
スタンプ設置場所御城印販売場所
スタンプ設置場所:1.岩村歴史資料館・受付
※営業時間・・・①9:00 ~ 17:00(4月~11月)
②9:30 ~ 16:00(12月~3月)
※定休日・・・月曜日、年末年始(12/28~1/4)
2.岩村コミュニティセンター
※開館時間・・・9:00 ~ 22:00
※閉館日・・・年末年始
御城印販売場所:岩村町並みふれあいの館
※営業時間・・・9:00 ~ 16:00
※定休日・・・年末年始
アクセス
公共交通機関(岐阜駅)
① 岐阜駅 → 美濃太田駅 → 多治見駅 → 恵那駅 → 岩村駅
・「列車」で約2時間10分
② 岩村駅 → 現地(岩村城登山口:ゴール)
A.「バス」と「徒歩」で約12分
※バスの場合、【岩村上町】に下車すること。
B.「徒歩」で約25分
公共交通機関(名古屋駅)
① 名古屋駅 → 恵那駅 → 岩村駅
・「列車」で約1時間40分
② 岩村駅 → 現地(岩村城登山口:ゴール)
・「バス」と「徒歩」で約12分
※バスの場合、【岩村上町】に下車すること。
・「徒歩」で約25分
自家用車
① 恵那IC → 現地(岩村城登山口:ゴール)
・高速道路を降りてから、約40分
終わりに
あれから、約3年ほど経ちました。
この時は、福井駅から名古屋駅まで特急に乗っていくという
無茶苦茶な移動をしてから行ったので、とにかく疲れましたw
また、整備されていたとはいえ山城だったので、
本丸跡にたどり着くまでに時間が掛かりました。
しかも、行った当時はイベントをしていたので
人が余り居なさそうな場所に行って
写さないように気を付けて写真を撮りました。
なお、この後も他の城に行きました。
それについては次回書こうと思います。
どこかのタイミングで再度行こうと思います。
その時は、行ってない曲輪を散策し、
本丸跡などもじっくり見学しようと思います。
・・・さて、今日はここまで。
次回も、お楽しみに!

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