2022年4月中旬、ほとんどの地域で桜が散ってしまった頃。
新幹線と電車を使って約1時間40分で「小諸駅」に到着。
そこから約5分掛けて歩くと・・・。

小諸城に着きました!
桜が散り始めているものの、今回は久しぶりに晴れた時に来れました。
簡単な歴史解説
室町時代後期~安土桃山時代前期(築城と甲斐武田氏の支配)
この場所には、大井光忠という人物が1487年に築いた「鍋蓋城」がありました。
ですが、戦国時代になると甲斐武田氏がこの地域一帯を支配するようになり、
武田信玄によって1554年に築城されました。
築城の際に現在の縄張りが造られ、1582年に滅亡するまで
甲斐武田氏が支配していました。
安土桃山時代後期(甲斐武田氏滅亡後の小諸城)
甲斐武田氏の滅亡後は、織田氏家臣の滝川一益が信濃佐久郡と小県郡を支配するようになり、
小諸城の城代として甥の道家正栄が入城しました。
1582年に発生した本能寺の変の後、滝川一益は後北条氏と争いますが敗北します。
その後、佐久郡の国衆である依田信蕃と面会し、木曽郡の木曾義昌を通じて
本国の伊勢国長島へ退去します。
滝川一益が退去したことで、依田信蕃が小諸城の城主となりました。
小田原征伐の後、依田氏が徳川氏に従って関東に移ると、
小田原征伐にて活躍した仙石秀久が城主となりました。
江戸時代(支配者の移り変わり)
関ヶ原の合戦の際、仙石秀久は東軍として戦ったことで江戸時代になっても
仙谷氏が城主を務めていました。
その後、小諸藩が成立し藩庁が置かれましたが、1622年に
2代目藩主の仙谷忠政の時に、仙谷氏は上田城へ移封となりました。
それ以降は、松平氏・青山氏・酒井氏などが入封しましたが、
1702年に牧野康重が移封されてから国替えが行われなくなり、
明治維新まで牧野氏が支配するようになりました。
また、この時代になると増築や改修が行われ、1602年に大手門が建立され
1766年には三之門が再建されました。
(三之門は、1615年に建立したものの大水害によって1度損壊しています。)
明治時代~現代まで
明治維新後に廃城となりましたが、1880年に旧小諸藩士たちが
旧三之門から本丸跡までの払い下げを受けて取得します。
その後、1926年に本田静六の指導を受け当時の小諸町が園地の拡張を行い、
史跡の自然景観を活用した公園を整備しました。
現在では、「小諸城址懐古園」として整備され、園内には小諸市動物園や
小諸市立郷土博物館・懐古神社などがあり、馬場跡を中心に桜が植えられており
開花時期には多くの観光客で賑わっています。
他の写真

先ほど居た「南丸跡」から、ある程度進むと「馬場跡」に着きました。
こちらも桜が散っていましたが、「小諸八重紅枝垂」という桜だけは満開でした。
(なお、写真は撮っていましたが、人が写っていたので使ってません。まあ、許してねw)

「馬場跡」の近くにあった石垣の上に「本丸跡」があります。現在は、懐古神社となっています。
池の上にちょうど桜の花びらが落ちていたのもあり、風情があって綺麗でした。

小諸城を出た後、線路を挟んで反対側に行くと「大手門」がありました。
前述にも記載しましたが、江戸時代から現存しています。
オマケの写真

実は、小諸城には3回訪れています。この写真は、2022年2月上旬に撮影しました。
この時は、「二の丸跡」全体が見える場所にて撮影しました。
また、2月上旬だったのもあり、日陰には雪が残っていました。

この写真は、2023年の年末にて撮影しました。
そして、2022年4月に撮影できなかった「三之門」を撮影しました。
江戸時代に再建されて以降、「大手門」と並んで現存している建物となります。

「懐古神社」に着きました。2022年4月では、懐古神社の池部分だけ撮影しました。
この神社がある場所が「本丸跡」となります。

「本丸跡」の端のほうには、「天守台跡」がありました。写真に納まらないくらい大きいです。
また、「天守台跡」からは「馬場跡」などの全体を見渡すことができました。
スタンプ設置場所と御城印販売場所
スタンプ設置場所:徴古館 ※三之門を抜けて左側にあります。
御城印販売場所:徴古館 ※受付にて購入出来ます。
アクセス
交通機関:1.東京駅から佐久平駅まで、「新幹線」で約1時間20分
2.佐久平駅から小諸駅まで、「電車」で約15分
3.小諸駅から現地まで、「徒歩」で約5分
終わりに
あれから、約3年ほど経ちました。
小諸城に初めていった2022年2月の時は、スマホしか持っていなかったので
ほんの数枚しか写真が無かったので、一番綺麗に撮れた「二の丸跡」の写真を使いました。
また、2022年4月に行った時は桜が散り始めていましたが、
他の城に行った時と比べるとまだマシでした。
ただ、ちょうどイベントをしていたので人が多く、写真を撮っても人が写ってしまいました。
その為、人が遠くに写っている「馬場跡」だけがマシだったので、それだけ使っています。
(本来なら「小諸八重紅枝垂」を載せたかったのですが、人が写っていたので止めました・・・。)
そして、2023年の年末。この時に訪れたのは、ホントに偶然でした。
その時は、天候が悪く人があまり居なかったので、2022年に撮り損ねた
「三之門」や「本丸跡」を撮影しました。
あと、この時は「小諸城」だけでなく他の城も午後に訪れています。
その城については、明日投稿しますので、お楽しみに^^
どこかのタイミングで再度行こうと思います。
その時は、もう1度桜を見たいと思います。
・・・さて、今日はここまで。次回も、お楽しみに!
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