一乗谷城
【名城:No.37】

中部地方

佐柿国吉城 の続きとなります。
佐柿国吉城を散策した後、列車を乗り継いで福井駅へ行き、そのまま1泊。
次の日、列車に乗り約20分掛けて一乗谷駅に到着。
そして、約20分掛けて歩いて行くと・・・。

一乗谷城に着きました!駅から近い登城口に着きました。

簡単な歴史解説

南北朝時代〜室町時代前期(朝倉氏による繁栄)

諸説ありますが、南北朝時代に朝倉氏が本拠を置いたのが始まりとされています。
そして、15世紀前半に居館を守るために築かれたと考えれています。

その後、応仁の乱が起きると荒廃した京都から
多くの公家や文人などが避難してきたことで飛躍的に発展し、
一乗谷は「北ノ京」と呼ばれるほど繁栄し、朝倉氏4代目・朝倉孝景の頃に
全盛期を迎え越前国の中心地となりました。

室町時代後期~安土桃山時代(衰退を経て消滅へ)

応仁の乱を経て戦国時代になった室町時代後期でも一乗谷は繁栄してました。
1568年、足利義昭を奉じて上洛した織田信長は
将軍となった足利義昭の命として2度に渡って上洛を要求しますが、
当主であった朝倉義景はこれを拒否したことで、織田氏と朝倉氏の関係は悪化します。
その後、足利義昭の要請で2度に渡って信長包囲網に参加したことで
織田信長との対立を激化させてしまい、何度も合戦を繰り広げました。
朝倉義景は織田信長の侵攻に備えて一乗谷城の改修工事も行いましたが、
1573年に起きた刀根坂の戦いにて大敗北を喫し大野へ逃げたことで、
1度も使われないまま廃城となりました。

また、刀根坂の戦いの翌日に織田信長の軍勢によって火が放たれ、
朝倉氏による繁栄した一乗谷は灰燼に帰すことになりました。

その後、織田信長の命によって守護代となった旧朝倉氏家臣・桂田長俊によって
一乗谷に再び館が構えられ支配されていましたが、1575年に起きた
越前一向一揆によって桂田長俊は一族もろとも討ち取られてしまいました。

その後、越前一向一揆衆は織田信長の重臣・柴田勝家によって鎮圧され
彼が支配するようになりましたが、水運・陸運に便利な北ノ庄に本拠を移したことで
一乗谷は辺境となり、館や町並みもろとも田畑の下に埋もれていきました。

現代まで

田畑の下に埋もれた一乗谷ですが、庭園だけが地上に出ていたことで
1930年に国の名勝に指定されました。

その後、1967年から発掘調査が行われ始めたことで
田畑の下に埋もれていた館や町並みも徐々に地上に出始めました。
また、居館を守るために築城された一乗谷城も1度も使用されなかったことで
堀切や土塁などの遺構がそのまま残っており、一乗谷の発掘に伴い
登城しやすいように整備されていきました。

2004年に起きた福井豪雨によって一部通行止めがありましたが、
現在では3ヵ所ある登城口から登ることができます。
また、本丸跡とされる千畳敷を中心に当時の遺構を見学することができ、
登山ルートも整備されているため登山客を中心に多くの人が訪れています。

※発掘調査を通じて復元された町並みなどは、後日投稿する
 「一乗谷朝倉氏遺跡(DQウォークのお土産)」に書く予定です。

他の写真

先ほどの登城口から歩いて行くと写真のような登山道が続いてました。
なお、撮影した場所はかつて「大手道」として利用されていたそうです。

途中の登山道に苔の生えた岩があり、よく見てみると「地蔵菩薩」が描かれていました。
現在では見る影もありませんが、当時は信仰の対象として大事に扱われていました。

その後、道なりに進んでいくと「不動清水」にたどり着きました。
名前の通り不動明王の石像があり、像の足元には綺麗な水が流れていました。

その後、さらに登っていくと「千畳敷跡」に着きました。
当時は大きな屋敷があったとされ、現在では礎石が多く残っていました。

「千畳敷跡」から少し歩くと「観音屋敷跡」がありました。
この場所には観音像を祀った屋敷があったそうで、広々としていました。

「観音屋敷跡」の近くには「宿直(とのい)跡」がありました。
この場所から福井平野まで見渡せるので、見張りの人が居たと考えられています。

「宿直跡」から見た福井原野です。
なお、左側には一乗谷が見渡すことができ、見張るのに最適な場所だと分かります。

そして、奥まで行くと「一の丸跡」に着きました。
看板の目の前にあり、現在では草木が生い茂って登ることができませんでした。

その後、さらに進んで行くと「二の丸跡」に着きました。
こちらも「一の丸跡」と同様に登ることができませんでした。
なお、「一の丸跡」との間には大きな堀切がありました。

さらに進んで行くと「三の丸跡」に着きました。
この場所のみ、腰曲輪みたいに細く造られていました。
なお、この先は行き止まりになっていたので、引き返しました。

引き返した後、そのまま麓に降りて散策していると「中の御殿跡」がありました。
普段はこの場所で生活していたそうで、一乗谷にはこのような館跡が多くありました。

スタンプ設置場所御城印販売場所

スタンプ設置場所:1.一乗谷朝倉氏遺跡博物館
          ※開館時間・・・9:00 ~ 17:00(入館は16:30まで)
          ※休館日・・・月曜日、年末年始
         2.一乗谷朝倉氏遺跡 復元町並・入口(北・南)
          ※営業時間・・・9:00 ~ 17:00(入館は16:30まで)
          ※定休日・・・年末年始
御城印販売場所:一乗谷朝倉氏遺跡 復元町並み・入口(南)

        ※営業時間・・・9:00 ~ 17:00(入館は16:30まで)
        ※定休日・・・年末年始

アクセス

公共交通機関(駅①)

① 福井駅 → 一乗谷駅
 ・「列車」で約20分
② 一乗谷駅 → 現地(復元町並:ゴール)
 A.「バス」で約10分
 B.「徒歩」で約30分

公共交通機関(駅②)

① 福井駅 → 現地(復元町並:ゴール)
 ・「バス」で約30分

公共交通機関(空港)

① 福井空港 → 春江駅
 ・「徒歩」で約30分
② 春江駅 → 福井駅
 ・「列車」で約10分
③ 福井駅 → 現地(復元町並:ゴール)
 ・「バス」で約30分

自家用車

① 福井IC → 現地(復元町並:ゴール)
  ・高速道路を降りてから、約10分

終わりに

あれから、約3年ほど経ちました。
この日は昨日と異なり快晴だったので、
城の散策もしやすかったです。

ただ、登山道が険しかったのと昨日の疲れがあったので、
「千畳敷跡」に着く頃にはヘトヘトになりましたw

また、木を見てみると何やら動物の爪とぎ跡がありました。
しかも、足音も聞こえたので、おそらくですが熊がいたと思います。
一応、熊よけの鈴と撃退スプレーがあり
熊も逃げたので良かったのですが、ホント怖かったです。

なお、麓にある一乗谷朝倉氏遺跡については
明日記事を書く予定です。

どこかのタイミングで再度行こうと思います。
その時は、熊の大人しい時期と時間帯に散策しようと思います。

・・・さて、今日はここまで。
次回も、お楽しみに!

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