赤穂城【名城:No.60】

兵庫県

2023年7月中旬、これから暑くなっていく季節
新幹線で「姫路駅」に行き、電車に乗り換えて約30分で「播州赤穂駅」に到着。
そこから約25分掛けて歩くと・・・。

赤穂城に着きました!
道なりに進んだ先にあった「三之丸大手隅櫓」から撮影を始めました。

簡単な歴史解説

室町時代~安土桃山時代(かつての赤穂)

赤松満祐の一族である岡豊前守光景という人物が
1453年から1455年にかけて「加里屋古城」という城を築城しました。
その後、子にあたる岡豊前守光広が城を改築し赤穂を支配していましたが、
安土桃山時代に入る頃には主家であった赤松氏は没落していきました。
そして、1570年頃には織田氏の家臣であった羽柴秀吉が
赤穂を含め播磨国を支配するようになりました。
1585年、羽柴秀吉の命により生駒親正が赤穂へ入封しましたが、
翌年の1586年に讃岐国へ移封となり代わりに宇喜多秀家が入封しました。
関ヶ原の合戦の際、宇喜多秀家は西軍側として戦ったため改易・流罪となり、
代わりに姫路藩藩主・池田輝政の弟にあたる池田長政が赤穂を支配するようになりました。
齟齬、1600年から1603年の亜大に赤穂城の前身となる「搔上城」を築城しました。

江戸時代(赤穂城の築城と藩主の移り変わり)

少しの間、赤穂は姫路藩の所領でしたが1615年に赤穂藩として立藩しました。
その際に御殿も建てられ、立藩後も池田氏が治めていましたが、
1645年に藩主であった池田輝興が刀傷沙汰を起こしたため改易となり、
代わりに浅野長直が入封します。
その後、浅野氏家臣の近藤正純が1646年に赤穂城の設計図を作成し、
1648年に幕府の許可を経て築城を開始し、1661年に完成しました。

完成後も浅野氏が治めていましたが、1701年に藩主であった浅野長矩が
江戸城にて吉良上野介を斬りつけたことで改易となりました。
その後、1702年に浅野氏家臣(赤穂浪士)たちによる吉良邸の討ち入り※が起きました。

討ち入りがあった年に永井直敬が入封しましたが1706年には転封となり、
代わりに森長直が入封し、明治維新を迎えるまで森氏が治めました。

※この討ち入りが、ドラマや映画の題材としてよく使われる「赤穂事件」です。

明治時代~現代まで

1871年の廃藩置県を経て、赤穂藩は他の県と併合して飾磨県となりました。
1878年、本丸にあった藩庁が解体され1881年に廃城となりました。
その後も隅櫓は取り壊され、石垣も近くに流れている千種川の護岸の築石として使われました。
1928年には県立赤穂高校(当時は、旧制赤穂中学校)の校舎が本丸跡に建設されるなど
城の面影が無くなりつつありましたが、1935年に大手門前の堀と太鼓橋が
復元されたことを皮切りに戦後を通じて大手門や本丸・外堀などが復元されました。
そして、1971年に国の史跡に指定されました。
1981年には県立赤穂高校は移転し、その後も城跡公園の整備や
本丸庭園の復元などが行われ、現在では復元された場所も含め
赤穂城内の見学や散策することができます。
また、近くには1912年に建立された「大石神社」や
1923年に国の史跡に指定された「大石内蔵助邸」、
1989年に開館した「赤穂市立歴史博物館」があり
当時の赤穂の歴史について学ぶことができます。

他の写真

先程撮影した場所から少し歩くと「櫓門」にたどり着きました。
この門をくぐると「三の丸跡」に行くことができます。

「三の丸跡」には国の史跡に指定された「大石内蔵助邸」があります。
そして近くには「大石邸長屋門」という大きな門があり、
敷地もかなり大きかったです。

「赤穂大石神社」に着きました。
こちらも「三の丸跡」にあり、境内に行くまでに
赤穂浪士全員の銅像が建てられていました。

その後、道なりに進んで「二之丸門跡」にたどり着きました。
復元されていませんが、当時は立派な門が建てられていたそうです。

その後、「本丸跡」に行く前に近くにあった「二の丸庭園」に行きました。
綺麗に整備されており、東屋もあったので少し休憩しました。

復元された「本丸門」の前にたどり着きました。
この門の前の通路は大手道にしては珍しく曲線を描いてます。
これは、戦などで防御する際にどの角度からでも攻撃できるように
計算して造られたそうです。

「本丸跡」に着きました。そして、左側を見てみると「天守台」がありました。
当時は立派な天守閣があったそうです。

「天守台」は現在、展望台となっており登ることができ、
そこから「本丸跡」を撮りました。
綺麗に区割りされている部分は当時の屋敷が建っていた場所で、
写真に納まらないくらい広い屋敷があったそうです。

「本丸跡」を散策した後、搦手門にあたる
「厩口門(うまやぐちもん)」から出ました。
「本丸門」ほどではありませんが、立派な造りとなっていました。

その後少し散策していると復元された「米蔵」がありました。
なお、赤穂城は「二の丸跡」だけでも結構広いので
一周するだけでも大変でした。

スタンプ設置場所と御城印販売場所

スタンプ設置場所:1.本丸櫓門下
         2.赤穂市立歴史博物館
          ※開館時のみ押印することができます。
御城印販売場所:播州赤穂駅・観光情報センター

アクセス

交通機関①:1.東京駅から姫路駅まで「新幹線」で約3時間
      2.姫路駅から播州赤穂駅まで、「電車」で約30分
      3.播州赤穂駅から現地まで、「徒歩」で約25分

交通機関②:1.東京駅から相生駅まで「新幹線」で約3時間40分
      2.相生駅から播州赤穂駅まで、「電車」で約15分
      3.播州赤穂駅から現地まで、「徒歩」で約25分

※便数は少ないですが、赤穂城の近くまで行く路線バスもあります。

終わりに

あれから、約2年ほど経ちました。
当初は行く予定は無かったのですが、
仕事の関係で7月中旬が長期休暇になったので
このタイミングで行きました。

ただ、この日は天気が悪かったので
暑さに加え湿気もあったので
かなり蒸し暑かったです。

まあでも、平日の休みだったので人が少なく、
そのおかげで撮影もスムーズに撮れました。

なお、今回は実家帰省も兼ねて四国に上陸していますw
そして、家族と一緒に違う場所にも行っています。
その記事については明日投稿します。

どこかのタイミングで行く機会があるかと思います。
その際は、雲一つ無い晴れた日に行こうと思います。
・・・さて、今日はここまで。次回も、お楽しみに!

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