龍岡城【続名城:No.130】

中部地方

小諸城 の続きとなります。
「小諸駅」から電車に揺られて約1時間、「龍岡城駅」に到着。
そこから約15分掛けて歩くと・・・。

龍岡城に着きました!
4月中旬でしたが、こちらは桜が満開でした。

簡単な歴史解説

江戸時代後期

1863年に幕府から藩庁の移転と陣屋の新築の許可を得た松平乗謨が
1864年から1867年にかけて築城しました。

なお、彼自身が治めていた奥殿藩は、藩庁が三河国にありましたが
領地の大部分が信濃国佐久郡にあったため移転を決めました。
(そして、移転後は龍岡藩となりました。)

松平乗謨は西洋軍学から砲撃戦に対処する築城術を学んでおり、
築城を行う際は ※稜堡式城郭(星形城郭)で新たな陣屋を設計しました。
1866年には石垣と土塁が、1867年には御殿などが完成しました
が、
城郭としては未完成のまま、明治維新を迎えました。

※稜堡式城郭・・・角を外に向けて突き出して造られた堡塁を用いた城郭の総称。
         その見た目から「星形城郭(☆)」と呼ばれており、
         主に五角形・六角形が用いられています。
         この城は五角形で造られており「龍岡五稜郭」とも呼ばれています。
         なお、日本では北海道函館市にある五稜郭と龍岡城の
         2ヵ所のみ現存しています。       

明治時代~現代まで

1871年の廃藩置県によって龍岡藩が無くなると同時に廃城となり
1872年には建物が解体されました。
1875年には田野口村の尚友学校(現在の佐久市立田口小学校)が移転され、
2022年度末までは学校用地として利用されていました。

現在、小学校は閉校となったものの城郭内には唯一現存している「御台所」があり、
大手門前には「佐久市歴史の里五稜郭であいの館」という小さな資料館もあります。
また、近くの山には展望台があり城郭内だけでなく付近も自由に散策することができます。

他の写真

最初着いた場所には橋が架かっていました。この場所には、かつて「大手門」がありました。
桜が満開でしたので、橋を渡って反対側から桜とセットで写真を撮りました。

そして反対側を向くと、桜も綺麗でしたが水堀も綺麗に整備されていました。
この写真では分かりにくいですが、よく見ると五角形の角がハッキリ見えました。

「本丸跡」に着きました。前述でも記載しましたが「佐久市立田口小学校」が建っていました。
ここに通っていた子たちは、毎日城に行っていたことになりますね。
いや~、城好きの私にとっては羨ましい限りですw

「本丸跡」には「御台所」と呼ばれる築城当時から現存している建物があります。
普段は閉まっていますが、事前に予約をすれば中も閲覧することができます。

龍岡城が五稜郭なので、その姿をどうしても見たいと思い、展望台まで行きました。
・・・ですが、道中がかなりきつく、着いた頃には疲れてしまいましたw

そして、展望台から見た龍岡城です。桜に沿って見て行くと、本当に五稜郭でした。
日本では、北海道函館市の五稜郭と並んで2例しかないので、大変珍しいです。
いや~、苦労して来た甲斐がありましたw

スタンプ設置場所と御城印販売場所

スタンプ設置場所:佐久市歴史の里 五稜郭であいの里 ※時間外や休館日でも押印できます。
御城印販売場所:佐久市歴史の里 五稜郭であいの里
※受付にて購入出来ます。

アクセス

交通機関:1.東京駅から佐久平駅まで、「新幹線」で約1時間20分
     2.佐久平駅から龍岡城駅まで、「電車」で約25分
     3.龍岡駅から現地まで、「徒歩」で約20分

終わりに

あれから、約3年ほど経ちました。
小諸城に行った後でしたので、着いた頃には日も少しずつ沈んでいました。
その為、早めに散策して見学したので、少ししか撮影していませんでした。
(特に、大手門の写真は、この1枚しかありませんでした。)

なお、当時は田口小学校は閉校になっていませんでした。
その為、行った時には子供たちが運動場で遊んでいました。
現在は閉校になっており、城を散策する人以外は居ないかと思います。

どこかのタイミングで再度行こうと思います。
その時は、可能だったら城の復元が進んだ時に行こうと思います。
そして、もう1度展望台に行って五稜郭を見ようと思います。

・・・さて、今日はここまで。次回も、お楽しみに!

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