※小牧山城 の続きとなります。
小牧山城を散策した後
「小牧駅」まで戻って電車に乗り、
約20分掛けて「犬山駅」に到着。
そこから、約30分掛けて
歩いていくと・・・。

犬山城に着きました!
城の麓にある神社から撮影を始めました。
簡単な歴史解説
室町時代(砦の建造と築城)
岩倉織田氏の当主であった
織田敏広の弟にあたる織田広近が
応仁の乱の最中であった1469年に
砦を築いたのが始まりとされています。
1475年、織田敏広は
西軍の斯波義廉と共に尾張国を帰還し、
東軍の斯波義敏と清洲織田氏の織田敏定の
両名との戦いを優位に進めていましたが、
1497年に同盟関係であった
美濃守護代の斎藤妙純が討死したのを機に
岩倉織田氏の勢力は衰退し始めました。
そして、1537年に清洲三奉行の
1人だった織田信秀の弟にあたる
織田信康が現在の位置に築城しました。
その後、1544年に織田信康が
斎藤道三との戦いで討死すると、
嫡子の織田信清が城主となりましたが、
1564年に織田信長と対立し
敗北します。
それ以降は、織田信長が
この地域一帯を支配するようになり、
池田恒興や織田信長の子にあたる
織田勝長などが城主となりました。
安土桃山時代(支配者の移り変わり)
1582年に起きた本能寺の変の後、
尾張国は織田信雄が支配するようになり、
織田信雄の配下であった
中川定成が城主となりました。
1584年に起きた
小牧・長久手の戦いでは、
羽柴秀吉に従っていた池田恒興が
強襲をかけ織田信雄から奪取し、
羽柴秀吉は本陣を置いて
小牧山城に本陣を置いた徳川家康と
対峙しました。
その後、小牧・長久手の戦いが終結し
1587年に織田信雄に
返還されましたが、1590年に改易され
豊臣秀次が尾張国を支配するようになり、
豊臣秀次の実父にあたる三好吉房が
城代となりました。
1596年に豊臣秀次が切腹すると
石川貞清が城主となり、
現在の形となる改修工事も行われました。
1600年に起きた関ヶ原の合戦では
西軍の拠点として使われましたが、
岐阜城が落城し西軍側の武将たちが
東軍に移っていったことで
石川貞清は犬山城を放棄し
西軍として関ヶ原へ参陣しましたが
敗北し改易となりました。
その後、1601年に小笠原吉次が
城主となり、この時に犬山城の
天守が建てられました。
また、近世城郭としての改修工事も行われ
城下町が整備されました。
江戸時代(領主の移り変わり)
江戸時代になると、尾張藩・犬山領の城
として機能しており、小笠原吉次が
城主として引き続き治めていましたが、
1607年に移封となり
代わりに平岩親吉が城主となりました。
その後、1612年に平岩親吉が
死去したことで城主不在となったため、
甥にあたる平岩吉範が城代となって
治めてしましたが、1617年に
尾張藩付家老の成瀬正成が城主となり、
1620年には天守の大改修が行われ
現在の姿になりました。
そして、明治維新を迎えるまで
成瀬氏の居城となりました。
明治時代~現代まで
1871年の廃藩置県によって
廃城となり、天守以外の建造物が
取り壊されましたが、
1876年に犬山城から
払い下げられた各所の城門が複数個所の
寺院に移築され、山門などとして
再利用されるようになります。
また、1895年には
愛知県から犬山城主であった成瀬正肥へ
修復等の条件付きで譲渡されたことで、
成瀬氏個人が所有することとなりました。
そして、第二次世界大戦を経ても
天守が残っていたことで、
1952年に犬山城天守は
国宝として指定されました。
ですが、1959年に伊勢湾台風が直撃し大きな被害を受けたことで
1961年から1965年にかけて
解体修理が行われました。
その後、2004年に
「財団法人犬山城白帝文庫」が設立され、
成瀬氏個人の所有から法人へと変わり、
2018年には天守閣も含めて
「犬山城跡」として
国の史跡に指定されました。
現在でも発掘調査が行われ
犬山城の城内だけでなく曲輪跡なども
散策することができます。
また、近くには神社や城下町などがあり
多くの観光客で賑わっています。
ゲーム内画面

ゲーム内画面は、このように
アイコンとして表示されます。
他の写真

最初いた場所から進むと「針網神社」
という神社の近くに来ました。
神社には、安産・子授け・長寿といった
御利益があるそうです。

せっかく来たので「針網神社」に行って
拝んできました。
なお、この場所は「桐の丸」と呼ばれる
二の丸跡に建っています。
また、犬山城の二の丸跡は「桐の丸」
「樅の丸(もみのまる)」「杉の丸」の
3つに分かれています。

先ほどの場所に戻りチケット売り場で
入場券を買いました。
そして「本丸鉄門」をくぐると、
「天守」が見えてきました。

その後、「天守」の内部に入って
最上階まで行き景色を撮りました。
この時は、ゲリラ豪雨の影響で
木曽川の水かさが増えてました。

反対側から「本丸」を撮りました。
左側に見えるのが、
先程くぐり抜けた「本丸鉄門」で
右側に見えるのが、
復元された「小銃櫓」です。

「天守」から出て少し散策していると
「七曲門跡」に着きました。
かつて、この場所に門があり
道もありましたが、現在は無く
通ることすらできませんでした。

先程の場所から振り返ると「天守」が
綺麗に見えたので撮影しました。
こう見ると、迫力があって良いですね。
スタンプ設置場所御城印販売場所
スタンプ設置場所:犬山城・本丸鉄門2階
※管理事務所の窓口の
近くにあります。
御城印販売場所:犬山城前観光案内所
アクセス
交通機関①:1.東京駅 → 名鉄名古屋駅
「新幹線」と「徒歩」で
約1時間45分
2.名鉄名古屋駅 → 犬山駅
「電車」で約45分
3.犬山駅 → 現地
「徒歩」で約30分
交通機関②:1.東京駅 → 名鉄名古屋駅
「新幹線」と「徒歩」で
約1時間45分
2.名鉄名古屋駅 →
犬山遊園駅
「電車」で約50分
3.犬山遊園駅 → 現地
「徒歩」で約20分
終わりに
あれから、約3年ほど経ちました。
午後から行ったのですが、
観光地だったのもあって
観光客が多く居ました。
その為、写真を撮っていましたが
人が写り過ぎたので
使用できる写真が少なく、
載せるのに苦労しました。
また、この後に他の場所に行く
予定でしたので、二の丸跡を
じっくり散策しなかったのもあり、
「針綱神社」以外は
撮影すらしていません。
なお、その他の場所についての記事は、
明日投稿します。
どこかのタイミングで
再度行こうと思います。
その時は、もっとじっくり散策して
撮影しようと思います。
・・・さて、今日はここまで。
次回も、お楽しみに!
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