2024年8月中旬、お祭りなどのイベントが多い季節。
せっかく実家帰省したので、家族旅行に行こうと決断し
中国地方を経由して九州地方に行くことが決まりました。
次の日、自家用車を使い、約4時間掛けて
「岩国城ロープウェイ前」まで行きました。
そして、ロープウェイに乗り、約15分掛けて歩いて行くと・・・。

岩国城に着きました!
お盆だったのもあり、多くの観光客が訪れていました。
簡単な歴史解説
江戸時代(築城と廃城)
1600年に起きた関ヶ原の合戦にて西軍側の総大将だった毛利氏は
敗北後に領地を大幅に削減され萩城に移封します。
その際、一族であった吉川広家も岩国に移封となりました。
そして、1601年に横山の山頂に築城を開始し、1068年に完成しました。
築城の際、麓に居館となる「土居」も造り、城と共に
岩国の中心地として機能していましたが、
1615年の一国一城令により山頂に造られた城は廃城となりました。
廃城となったものの、長州藩・岩国領の陣屋として機能しており、
1673年には陣屋と城下町を結ぶ錦帯橋が造られ
明治維新を迎えるまで吉川氏が治めました。
明治時代~現代まで
1868年に長州藩から独立し岩国藩となり「土居」が藩庁として機能していましたが、
1871年の廃藩置県に伴い岩国藩は廃止となり「土居」も廃棄されました。
その後、1885年に「土居跡」は「吉香公園」となり
当時存在していた櫓を模して「錦雲閣」が造られました。
1962年に本丸があった位置より南側に天守が復元され、
翌年の1963年には山頂と麓を結ぶロープウェイが開業しました。
そして、1995年には発掘調査を経て天守台が復元されました。
現在では、「城山公園」として整備されており、
復元された天守台の他に石垣や堀などの遺構もあります。
また、復元天守の内部は資料館となっており、
岩国市の歴史や文化などに関する資料が展示され、
公園内も含め見学や散策することができます。
他の写真

今回は「復元天守」の前で撮影し、そのまま中に入りました。
最上階に行くと、外が見える場所があり、そこから城下町を撮りました。
岩国城は川が蛇行している場所に建っているので、
防御面でもしっかりした造りとなっています。

その後、外へ出て少し歩くと「北の丸跡」に着きました。
現在では広場となっており、近くには東屋が建っていました。

せっかく来たので、そのまま1周しました。
すると、「復元天守」がある「本丸跡」の石垣があり、
近くまで行くと迫力がありました。

そのまま1周して行くと「大手門」がありました。
なお、撮影した場所の近くには「出丸跡」があり、
現在では草木が生い茂っていました。

そして、そのまま登ると「二の丸跡」に着きました。
こちらも「北の丸跡」と同様に広場となっており、
奥には花木園などがありました。

帰る際、発掘調査を経て発見された「天守台跡」がありました。
岩国城の天守閣は、現在の資料館がある場所ではなく
築城当時はこの場所にありました。

そして、ロープウェイに向かって帰っていると「大井戸跡」に着きました。
山城である岩国城にとって貴重な水源で、現在は木が生えていました。
スタンプ設置場所と御城印販売場所
スタンプ設置場所:岩国城・受付窓口
御城印販売場所:岩国城・受付窓口
アクセス
交通機関①:1.東京駅 → 広島駅
「新幹線」で約3時間50分
2.広島駅 → 岩国駅
「電車」で約50分
3.岩国駅 →【錦帯橋】
「バス」で約15分
4.【錦帯橋】→ 現地
「徒歩」で約10分
交通機関②:1.東京駅 → 岩国錦帯橋空港
「飛行機」で約1時間40分
2.岩国錦帯橋空港 →【錦帯橋】
「バス」で約15分
3.【錦帯橋】→ 現地
「徒歩」で約10分
※今回の現地は「ロープウェイ山麓駅」です。
そこから、ロープウェイと徒歩で
約15分で復元天守のところまで行けます。
終わりに
あれから、約1年ほど経ちました。
今回は、お盆ということで久しぶりに家族旅行に行きました。
また、今回の旅行のメインは九州地方でしたので
移動の関係で、中国地方は山口県だけになりました。
お盆というのもあって多くの観光客が訪れており、
城内も人が多く居て歩くのにも苦労しました。
まあでも、この後に行った場所はもっと人が多く居ました。
それについては明日記事にしますが、
お盆の関係で人が映っています。
ですが、それぐらいしか写真が無かったので、
今回は使います。予めご了承下さいな。
どこかのタイミングで、また訪れようと思います。
その際は、麓にある「錦雲閣」にも行こうと思います。
・・・さて、今日はここまで。次回も、お楽しみに!
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