※岩村城 の続きとなります。
岩村城を散策した後、そのまま歩いて岩村駅へ戻り
列車に乗って約40分で中津川駅に到着。
その後、バスに乗り約10分でバス停に着き、
そこから約5分掛けて歩いて行くと・・・。

苗木城に着きました!
近くにあった「足軽長屋跡」から全体が見えたので、そこから写真を撮り始めました。
簡単な歴史解説
鎌倉時代〜江戸時代(築城と支配者の移り変わり)
岩村城を本拠地としていた遠山景朝の長男・遠山景村が
1242年に木曽川北部にあった那木(苗木)に進出して支配し、
彼の子孫にあたる遠山一雲入道・遠山景長の親子が
1331年から1334年の間に高森山に砦を築いたのが始まりと伝えられています。
その後も遠山氏の子孫たちによって砦や城が築れ支配力を強めていき、
1552年には岩村遠山氏の遠山直廉が苗木遠山氏の養子となり、
高森山にあった砦の拡張工事を行い「苗木城」という名称に改めました。
拡張後は、織田氏や甲斐武田氏の双方のもとで戦い、
落城・奪還を繰り返し、最終的に織田氏に仕えるようになりました。
ですが、1582年に織田信長が本能寺の変で討死したことで
織田氏の領内各地で争いが勃発し、苗木遠山氏も巻き込まれてしまいます。
そして、1583年に美濃金山城城主・森長可による侵攻落城し、
城主であった遠山友忠・友政親子が徳川氏に頼って浜松へ行ったことで
苗木遠山氏による支配は終わりを告げました。
落城後は森氏によって支配されていましたが、
1599年に信濃国川中島へ転封となり代わりに川尻直次が支配するようになります。
その後、翌年の1600年に関ヶ原の合戦において川尻直次が西軍側となったため、
徳川家康は遠山友政に命じて攻略させます。
そして、勝利したことで遠山友政が再び支配するようになり、
江戸幕府の成立と共に苗木藩が立藩し藩主となりました。
藩の中でも1・2を争うほど貧しく、城壁に漆喰を塗ることができないくらい
経済的に厳しかったですが、御家騒動などの大きな問題も無かったので、
明治維新を迎えるまで遠山氏が治めていました。
現代まで
幕末になると各地で戦が起こるようになります。
苗木藩も大阪警備や第二次長州征伐に参加していたことで
財政が逼迫し、明治維新を迎えるころには財政破綻してしまいます。
明治維新後、城にあった建材や武具などの売却や藩士卒の帰農化、
家禄支給の削減などを行い負債を減らしましたが、それでも厳しく
1871年の廃藩置県により苗木県になりましたが、
小県のため役所を置くと莫大な費用がかさむようになり
国益にならないと判断し国に廃県を懇願します。
そして、同年に岐阜県へ編入となり、それに伴い廃城となりました。
負債返済や廃城に伴い、多く建造物が取り壊されましたが、
築城当時から利用されている自然石に加え
石垣や曲輪跡などが綺麗に残されていたのもあり、
1981年に国の史跡に指定されました。
現在では、麓にある「苗木遠山史料館」には苗木城に関する資料が展示されており、
当時の苗木城についての学ぶことができます。
また、遺構を残したまま綺麗に整備されており、
麓の史料館と共に多くの人が散策や見学に訪れる場所になっています。
他の写真

道に沿って歩いて行くと「風吹門跡」に着きました。
門はありませんでしたが、礎石や石垣が残っていました。

「風吹門跡」を通って左側を見ると「大矢倉跡」がありました。
こちらは建物自体はありませんでしたが、土台は綺麗に残っていました。
なお、登ることもできますが、角度が急で登るのに少し苦労しました。

「大矢倉跡」の反対側に行くと「三の丸跡」に着きました。
ここから城を見てみると1つの大岩に見えました。

その後、右側に行くと「二の丸跡」に着きました。
現在では、礎石だけが残る曲輪跡になっています。

「二の丸跡」から下を覗いてみると「的場跡」を見ることができました。
なお、この「的場跡」は侵入禁止区域となっています。

その後、「三の丸跡」に戻り道なりに進んでいくと「綿蔵門跡」に着きました。
ここには、藩の年貢として納められていた真綿が保管されていたそうです。
なお、苗木城は「本丸跡」へ行くまでに多くの門が設置されていました。

その後、さらに進んでいくと「武具蔵跡」にたどり着きました。
こちらも礎石しかありませんが、かつてここに武具を収めた蔵がありました。
また、撮影した場所の後ろには「具足蔵跡」もありました。

その後、さらに登っていくと「本丸跡」に着きました。
写真のように大きな一枚岩があり、そこには「天守」が建っていたそうです。
現在では展望台になっており、そこから景色を見ることができます。

展望台に登ると、木曾川が見える綺麗な景色がありました。
また、登った時は夕方になり始めたので、紅葉の木々もあって赤く見えました。

その後、帰る道中にも「馬洗岩」と呼ばれる大きな岩がありました。
敵を欺く為に、この岩の上に馬を乗せて洗い城には水が豊富にあるということを
見せていたことから、このような名前が付いたそうです。

そして、帰り際に最初に訪れた「足軽長屋跡」から再度写真を撮りました。
ちょうど夕日が当たっていたので、赤く輝いていました。
スタンプ設置場所御城印販売場所
スタンプ設置場所:1.苗木遠山史料館
※営業時間・・・9:30 ~ 17:00
※定休日・・・月曜日、年末年始
2.苗木交流センター
※開館時間・・・8:30 ~ 19:30
※閉館日・・・年末年始
※苗木遠山資料館が定休日だった場合のみ押印できます。
御城印販売場所:1.苗木遠山史料館
※営業時間・・・9:30 ~ 17:00
※定休日・・・月曜日、年末年始
2.苗木交流センター
※営業時間・・・8:30 ~ 19:30
※閉館日・・・年末年始
※苗木遠山資料館が定休日だった場合のみ購入できます。
アクセス
公共交通機関(岐阜駅)
① 岐阜駅 → 美濃太田駅 → 多治見駅 → 中津川駅
・「列車」で約1時間50分
② 中津川駅 → 現地(ゴール)
A.「バス」と「徒歩」で約15分
※直行便の場合、【苗木城】という場所に降りてそこから徒歩となります。
B.「バス」と「徒歩」で約40分
※直行便以外だと、【苗木】という場所に降りてそこから徒歩になります。
公共交通機関(名古屋駅)
① 名古屋駅 → 中津川駅
・「列車」で約1時間30分
② 中津川駅 → 現地(ゴール)
A.「バス」と「徒歩」で約15分
※直行便の場合、【苗木城】という場所に降りてそこから徒歩となります。
B.「バス」と「徒歩」で約40分
※直行便以外だと、【苗木】という場所に降りてそこから徒歩になります。
自家用車
① 中津川IC → 現地(ゴール)
・高速道路を降りてから、約30分
終わりに
あれから、約3年ほど経ちました。
午前中に岩村城を訪れていたので、着いた頃には15時を過ぎてました。
その為、散策しているとすぐに日が暮れてしまい、
ゆっくり見学することができませんでした。
それでも、遺構が綺麗に残っていたので見応えがありました。
今日までに「竹田城」や「高取城」といった様々な山城に行きましたが、
私の中では見てきた山城で1番だと思っています。
整備されているものの当時の遺構が綺麗に残っており、
さらに大きな岩を削っているので、まるで要塞みたいな城でした。
特に「足軽長屋跡」から見える全体像は、まるで某映画の天空の城みたいで
思わず「天空の城は、本当にあったんだ。」と少しだけ声が漏れてしまいまいたw
また、城自体は規模が小さいので散策しやすく
山城にしてはアクセスがしやすいので
まだ行っていない人は、ぜひ行ってください!
・・・とまあ、熱くなるほど素晴らしい山城でしたw
タイミングが合えば必ず行って、もう1度じっくり散策します。
・・・さて、今日はここまで。
次回も、お楽しみに!

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