※名古屋城 の続きとなります。
名古屋城から歩いて名古屋城駅に行き、
電車を使って約15分で
「熱田神宮西駅」に到着。
そこから、約15分掛けて
歩いて行くと・・・。

熱田神宮に着きました!
神宮の入り口部分にある
「鳥居」に着きました。
簡単な解説
歴史について
伝承によると、
113年に草薙神剣が祀られ、
192年もしくは646年に
「熱田神社」として社が創建されたと
伝えられています。
創建当初は大宮司を尾張氏が
務めていましたが、
平安時代後期に尾張員職の外孫にあたる
藤原季範に職が譲られ、
それ以降は藤原南家藤原氏・千秋家が
務めるようになりました。
1465年、瑞渓周鳳という人物が
書いた「臥雲日件録」という資料には
熱田大宮司は厳島神主家・富士氏と共に
日本三大宮司に数えられたと
記載されています。
戦国時代になると、千秋家は武将として
織田弾正忠氏に仕えており、
織田信長は桶狭間の戦いの前に
戦勝を祈願して見事に勝利を収めました。
ですが、その時に仕えていた千秋季忠が
前哨戦にて討死してしまったので、
織田信長は大宮司職と遺領を
まだ胎児であった千秋季信に
相続させました。
また、織田信長は1560年に
土塀を奉納し、1571年には
社殿を修造し海蔵門も新造しました。
その後も、豊臣秀吉や徳川家康が
社殿を修理しており、江戸時代になっても
尾張徳川氏をはじめ多くの大名が
修理や造営を行いました。
1868年6月に名称を
「熱田神宮」に改名し、
1889年には伊勢神宮と同じ
神明造による社殿の造営が計画され、
1893年に竣工しました。
ですが、太平洋戦争末期の
1945年の空襲によって
鎮皇門や神楽殿などが焼失しました。
その後、伊勢神宮の式年遷宮の際に出た
古用材を譲り受けて
1955年に社殿が再建され、
様々な建物が造られました。
観光地として
太平洋戦争による空襲により
多くの建造物が焼失しましたが、
戦後社殿を含め多くの建造物が
建て直されました。
また、1957年に「又兵衛」と呼ばれる江戸時代中期に建築された茶室が
1968年には「龍雲閣」と呼ばれる
1878年に建築された建造物が
現在の場所に移築され、
国の登録有形文化財に登録されました。
現在では、境内を自由に
散策することができ、「信長壁」や
国宝・重要文化財などを
保存・展示している「宝物殿」などを
見学することができます。
そして、祭事などが行われた際は
多くの観光客で賑わっています。
ゲーム内画面

ゲーム内画面は、このように
アイコンとして表示されます。
他の写真

先程撮った鳥居をくぐり進んで行くと
「信長塀」がありました。
1560年に奉納されたそうで、
現在まで残っています。

「本宮」の前まで来ました。
行った時はすでに夕方だったので、
人が居ませんでした。
また、近くの社務所も閉まっていたので、お守りなどは買えませんでした・・・。
アクセス
交通機関①:1.東京駅 → 名鉄名古屋駅
「新幹線」と
「徒歩」で約1時間45分
2.名鉄名古屋駅 → 神宮前駅
「電車」で約10分
3.神宮前駅 → 現地
「徒歩」で約20分
交通機関②:1.東京駅 → 名古屋駅
「新幹線」で約1時間35分
2.名古屋駅 → 熱田駅
「電車」で約10分
3.熱田駅 → 現地
「徒歩」で約20分
終わりに
あれから、約3年ほど経ちました。
この日は、小牧山城・犬山城・名古屋城と
3ヵ所も寄っていたので、着いた頃には
夕方になっていました。
幸い、7月だったので日が沈むまで
時間があったので
撮影自体は出来たので良かったです。
ただ、せっかく行ったのに
社務所などは閉まっていたので、
お守りなどは買えませんでした。
次回行くときは、
もっと早い時間に行こうと思います。
そして、その時は必ずお守りを買います。
・・・さて、今日はここまで。
次回も、お楽しみに!
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