※要害山城【続名城:No.128】 の続きとなります。
要害山城に行って後、そのまま歩いて下山しました。
そして、約40分掛けて歩くと・・・。

武田神社に着きました!
ここには「躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)」という甲斐武田氏の館がありました。
簡単な歴史解説
戦国時代(甲斐武田氏による築城と繁栄)
甲斐国では、1416年に起きた上杉禅秀の乱によって守護が不在となり、
有力国人や守護代である跡部氏が台頭し乱国状態になってしまいました。
1466年、武田信昌・信縄の父子は跡部氏を排斥して
甲府盆地東部に川田館を建て本拠としました。
その後、甲斐武田氏の内部で家督争いが発生し武田信虎が跡を継ぎ、
1519年に現在の武田神社がある場所に「躑躅ヶ崎館」を建てました。
また、建設と同時に有力国人の移住させて城下町の整備を行い、
居城を守る城として要害山城や湯村山城を築城しました。
武田信虎を追放し跡を継いだ武田晴信(武田信玄)は、信濃・駿河・上野・遠江・三河などを
勢力下に入れるほど所領を拡大しましたが、移転はせず本拠地としていました。
なお、1543年には火災が発生しますが全焼は免れており、
これを機に大規模な改修が行われました。
安土桃山時代(甲斐武田氏の滅亡とその後)
武田信玄の死後、跡を継いだ武田勝頼も本拠地として使用していましたが、
1575年の長篠の戦いで敗北したことで領国体制の立て直しを考え、
1582年に新府城を築城し本拠移転を行いました。
ですが、同年に起きた甲州征伐により甲斐武田氏は滅亡し、
代わりに織田氏家臣の河尻秀隆が躑躅ヶ崎館を拠点として甲斐国を支配するようになりました。
支配したものの直後に本能寺の変が発生したことで旧武田領にて一揆が勃発し、
河尻秀隆は戦死してしまいます。
その後、天正壬午の乱を経て徳川家康が支配するようになりました。
この時には館域が拡張され天守も築かれましたが、同時期に甲府城の築城も始めており、
1590年の小田原征伐後に徳川家康が関東へ移封されると、代わりに入城した
豊臣一族の豊臣秀勝や豊臣家臣たちによって1591に甲府城が完成したことで
躑躅ヶ崎館は要害山城と同時期に廃館となりました。
明治時代~現代まで
江戸時代では「古城」や「御屋形跡」と呼ばれていましたが、
当時を偲ぶ名所の1つとして旅行者が訪れる程度でした。
ですが、明治時代になると史跡保存運動が起き始めます。
鎮静しては再燃を繰り返していましたが、1904年に日露戦争が勃発した際に
神社に武神・軍神を祀ることが推奨されたことで神社創設の機運が高まりました。
そして、1919年に現在の場所に「武田神社」が完成しました。
1966年からは甲府信玄祭りが開催され、現在も行政主導によって
毎年4月12日前の土日に「信玄公祭り」として開催されています。
また、境内にある宝物殿には甲斐武田氏ゆかりの貴重な品々が収められており、
周辺には当時の遺構として土塁や堀が残っており見学することができます。
他の写真

先ほどの入口からそのまま入り、少し進むと「拝殿」がありました。
私以外にも参拝している方が居ましたので、拝んでいる人が居ないうちに写真を撮りました。

一旦、境内の外に出ると「大手石塁」と呼ばれる復元された石塁がありました。
なお、この「大手石塁」以外にも周辺には復元された土塁がありました。

境内に戻り少し散策すると「甲陽武能殿」と呼ばれる建物に着きました。
この「甲陽武能殿」では、能楽・神楽などの舞台として使われます。

先ほどの場所から奥に進んでいくと「西曲輪跡」に着きました。
このように曲輪跡も綺麗に整備されていました。

さらに奥へ進むと「西曲輪北側桝形虎口跡」に着きました。
写真では分かりにくいですが、ちゃんと桝形になっていました。

その後、来た道を戻ってそのまま真っすぐ進み橋を渡ると「西曲輪南馬出」に着きました。
この場所は馬出であると同時に馬を埋葬する場所として使われていました。

「西曲輪南馬出跡」から反対側に向いて水堀を撮影しました。
武田神社(躑躅ヶ崎館)は、この水堀に囲まれており、堅牢な館だったことが分かります。
スタンプ設置場所と御城印販売場所
スタンプ設置場所:1.武田神社・宝物殿
※受付にてスタッフに声をかけると出してくれます。
2.武田神社・お守り御朱印授与所
※付近の台の上にあります。
御城印販売場所:1.甲府市武田氏館跡歴史館(信玄ミュージアム)
※こちらでは「武田氏館」の御城印を購入することができます。
2.武田神社・お守り御朱印授与所
※こちらでは「躑躅ヶ崎館」の御城印を購入することができます。
アクセス
交通機関:1.東京駅から甲府駅まで、「在来線」と「特急列車」で約2時間
2.甲府駅から現地まで、「バス」と「徒歩」で約10分
終わりに
あれから、約3年ほど経ちました。
前述にも記載しましたが、先に要害山城に行っていたのもあり
着いた頃には夕方になってしまいました。
ただ、この時期は日が沈むのが遅いので、じっくりと散策することができました。
また、人も少なかったので写真が撮りやすくて良かったです。
なお、行った時間帯が遅かったのもあり、「甲府市武田氏館跡歴史館」には行けませんでした。
なので、次回行くときは見に行くようにしたいと思います。
・・・さて、今日はここまで。次回も、お楽しみに!
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