※善光寺 の続きとなります。
善光寺から歩いて善光寺下駅に行って電車に乗って長野駅に戻りました。
その後、長野駅から電車を使って約2時間で「下諏訪駅」に到着。
そこから、約15分掛けて歩いて行くと・・・。

諏訪大社・下社に着きました!下社秋宮で撮影しました。
なお、今回は時間の都合上、下社秋宮のみの散策となります。
簡単な解説
諏訪大社の歴史について
現在でも不明ですが「古事記」や諏訪地方に伝わる神話から
およそ1500年から2000年前に造られたと考えられています。
また、祭祀が始まった時期も不明ですが「日本書紀」には
691年に持統天皇が「信濃須波の神を祀る」という記述があることから
少なくともこの年から始まったと考えられています。
平安時代末期から始まった源平合戦の際、大祝であった諏訪敦光が源氏のために
祈祷したことで源頼朝から領地として諏訪一帯を与えられます。
鎌倉時代になると文献にて「諏訪社」と表記され1180年には「上社・下社」の区別が
明示されており、大祝を中心とした武士団が誕生しました。
戦国時代では甲斐武田氏と同盟を結んでいましたが、1542年に同盟が解消されたことで
甲斐武田氏が侵攻し1582年に滅亡するまで諏訪一帯を甲斐武田氏が支配します。
江戸時代になると寺社領として安堵され、この時期に
現在では国の重要文化財となった四脚門や神楽殿などが創建されました。
明治時代になり神仏分離令が発動されたことで付近の寺院が破壊され、
その中に安置していた仏像・仏具が移動します。
1871年には神職の世襲制が廃止され、近代社格制度において
国幣中社に列することになり「諏訪神社」という名称になりました。
第二次世界大戦後は神社本庁の別表神社の一社となり、
1948年に「諏訪大社」という現在の名称になりました。
上社・下社について
諏訪湖を挟んで南岸に上社・北岸に下社があり、両社の位置は離れています。
また、上社には「本宮・前宮」下社には「秋宮・春宮」に分かれて鎮座しています。
社殿の四隅には御柱と呼ぶ木柱が建てられており、前述にも記載しましたが江戸時代から
創建された建物が多く残っており、そのほとんどが国の重要文化財に指定されています。
7年に一度「御柱祭」という祭事が行われ、
その際に社殿の四隅にある御柱や宝殿が建て替えられます。
また、上社・下社では「御柱祭」以外の祭事や神事が毎年行われており
参拝者だけでなく多くの観光客で賑わっています。
※DQウォークでは「諏訪大社・下社(秋宮)」がお土産となっています。
その為、今回は下社秋宮の写真のみ扱っています。
ゲーム内画面

ゲーム内画面は、このようにアイコンとして表示されます。
他の写真

入口の鳥居をくぐって進むと「根入りの杉」と呼ばれる大杉の前に着きました。
この大杉は、丑三つ時になると寝息を立てるという伝説が残っています。

少し進むと「神楽殿」に着きました。この建物は江戸時代から残っており、
国の重要文化財に指定されています。

さらに奥へする無と「左右片拝殿」と呼ばれる建物に着きました。奥には「宝殿」があり、
写真にはありませんが、左右には「御柱」と呼ばれる柱がありました。
アクセス
交通機関:1.東京駅から下諏訪駅まで、「在来線」と「特急」で約2時間30分
2.下諏訪駅から現地まで、「徒歩」で約15分
終わりに
あれから、約3年ほど経ちました。
午前中は善光寺に行ってましたが、記念品を買うとき行列に並んでいたので
着いた頃には夕方になってしまいました。
しかも、DQウォークのお土産がこちらにあったので、
遅い時間帯に着いたのもあり、下社秋宮だけしか行けませんでした。
ただ、この時間帯には人がほとんど居なかったので写真が撮りやすかったです。
今度行くときは、下社春宮のほうも行こうと思います。
また、下社だけでなく上社のほうも行こうと思います。
・・・さて、今日はここまで。次回も、お楽しみに!
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