浜松城【続名城:No.148】&【DQウォークのお土産】

中部地方

豊田スタジアム の続きとなります。
豊橋市にて1泊し、午前中は豊橋市を観光しました。
午後に浜名湖にて食事をし、そこからバスを使って約1時間で「市役所南(バス停)」に到着。
そこから、約5分掛けて歩いていくと・・・。

浜松城に着きました!着いた頃には夕方になってしまいました。

簡単な歴史解説

戦国時代前期(かつての浜松城)

築城した人物には諸説ありますが、今川貞相が初めて築城したとされています。
(ただし、室町時代中期には三河国の吉良氏が支配していました。)
その後、三管領の1つだった斯波氏と今川氏の間で抗争が勃発し、
吉良氏の家臣団の中でも斯波派の大河内氏と今川派の飯尾氏が争います。
そして、斯波氏が敗北したことで吉良氏も支配権を失い、
飯尾氏が今川氏の家臣となり曳馬城を支配するようになります。

桶狭間の合戦で今川義元が討死すると今川氏は衰退していき、
1565年には飯尾連竜が今川氏真に反旗の疑惑をもたれ1度包囲されてしまいます。
陥落は免れたものの、謀略によって飯尾連竜は暗殺されてしまい、
以後は彼の家臣だった江間氏が守るようになりました。
ですが、城内では徳川派と武田派に分かれて内紛が起きてしまい、
最後は徳川家康によって攻略されてしまいました。

戦国時代後期(徳川家康による支配と武田信玄との戦)

1570年に入城した徳川家康は、武田信玄の侵攻に備えるために
本拠地を岡崎城から曳馬城に移します。
その際、拡張工事を行い、曳馬という名称が「馬を引く(敗北する)」と
縁起が悪いことから、かつてこの地にあった荘園から「浜松城」と改名しました。


1573年、武田信玄が遠江国に侵攻し、浜松城を攻める素振りを見せながら
無視して行軍をして徳川家康を挑発します。
挑発された徳川家康は打って出たものの、武田信玄の反撃を受け敗北します。
「三方ヶ原の戦い」と呼ばれるこの合戦で徳川家康は討死寸前まで追い詰められ、
わずかな供回りのみで浜松城に逃れ、城門を全て開城し篝火を焚きました。
この「空城計」と呼ばれる策を用いたことで、追撃してきた甲斐武田氏家臣の山県昌景は
突入を止めて引き上げ、徳川家康はなんとか乗り越えることができました。

安土桃山時代~江戸時代(支配者の移り変わり)

入城した1570年から徳川家康は浜松城の拡張・改修工事を行っており、
三方ヶ原の戦いの際は中断したものの1582年はある程度完成しました。
ですが、1586年に本拠地を駿府城に移してしまいました。
1590年の小田原征伐にて徳川氏が関東へ移封されると
豊臣氏家臣である堀尾吉晴・忠氏の兄弟が代わりに支配していました。
その後、堀尾兄弟は関ヶ原の合戦にて東軍に属したことで
出雲国富田に移封され、一時期は徳川家康の十男にあたる徳川頼宜が支配したものの
江戸時代以降は譜代大名各家が支配するようになりました。

なお、堀尾氏の時代には天守が造られていましたが、江戸時代初期には失われ
以後も再建されることがありませんでした。
(その為、当時の天守の姿を伝える資料が残されていません。)

明治時代~現代まで

明治維新後の1871年に廃城となり建物も破壊されてしまいました。
その後、1950年に「浜松城公園」となり、
1958年には堀尾氏が支配していた松江城を参考にし、
現存天守である丸岡城をモデルとして模擬天守が造られました。
そして、1959年には浜松市の史跡として指定されました。
また、もともと曳馬城だった場所には
1894年に井上延陵という人物によって東照宮が創建されました。
戦災によって1度焼失していまいますが、1959年に再建されました。
2014年には天守門と付近の土塁が復元され、現在では静岡県屈指の
桜の名所として多くの観光客で賑わっています。

ゲーム内画面

ゲーム内画面は、このようにシンボルとして表示されます。

他の写真

最初着いた場所は「天守門」と呼ばれる建物です。そこをくぐり抜けると「天守曲輪」に着きました。
そこから「模擬天守」を撮影しました。「天守門」も「模擬天守」も中に入ることができます。

「天守曲輪」には復元された井戸もありました。浜松城には、この井戸を含めて10個ありました。
なお、天守台の井戸は復元時に残しており、こちらも「模擬天守」の中で見ることができます。

「天守曲輪」には「八幡台」と呼ばれる天守台よりも少し位置が高い場所がありました。
この場所には、八幡大菩薩と呼ばれる武士の守り神を祀っている神社がありました。

「天守曲輪」の石垣を下から撮影しました。江戸時代にて改修工事が行われた際に造られました。
浜松城の石垣は、一部は失われたものの400年近く残っています。
(なお、徳川家康が治めていた時代は、土造りの城だったそうです。)

「本丸跡」に着きました。浜松城は「天守曲輪」の下に「本丸跡」があるという珍しい城です。
その「本丸跡」には、若かりし頃の徳川家康をモデルにした銅像が建っていました。

スタンプ設置場所と御城印販売場所

スタンプ設置場所:浜松城天守門 ※入口の外側に置いてます。
御城印販売場所:1.浜松城天守閣売店
※入城料が別途必要となります。
        2.浜松城天守門

アクセス

交通機関:1.東京駅から浜松駅まで、「新幹線」で約1時間30分
     2.浜松駅から市役所南(バス停)まで、「バス」で約5分
     3.市役所南(バス停)から現地まで、「徒歩」で約5分

終わりに

あれから、約3年ほど経ちました。
豊橋市にて観光をしていたのもあり、着いた頃には夕方になってしまいました。
しかも、ゴールデンウィーク期間だったので夕方でも人が多くいました。
その為、「天守曲輪」などの広い部分を撮影しようと思いましたが、
人が写り過ぎて何も取れませんでした・・・。

一応、それらを回避するために様々な方法で撮影しましたが、
まともに使えた写真は、ほんの数枚しかありませんでした。
しかも、DQウォークのお土産だったのでゲーム内画面も撮影しましたが、
私自身が他のモンスターと被っており写っていませんでしたw

あと、次の日も他の場所に足を運んでいます。その記事は、明日投稿します。
どこかのタイミングで再度行こうと思います。
その時は、もっとじっくり撮影しようと思います。

・・・さて、今日はここまで。次回も、お楽しみに!

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