武田信玄公之像【DQウォークのお土産】

DQウォークのお土産

2022年5月中旬、初夏となる季節。
出張先での研修が終わり、時間が余ったので「甲府駅」へ向かいました。
到着後、「甲府駅」の南口から出て少し歩くと・・・。

武田信玄公之像に着きました!南口から出て右側にありました。

簡単な解説

人物について(略歴)

1521年、要害山城または近くにある積翠寺にて生まれたとされています。
幼名は太郎と言い、1536年に元服した際は時の将軍・足利義晴の一字を受けて
「武田晴信」と名乗るようになります。
1541年、家臣たちと共に実父である武田信虎を追放し家督を相続します。
家督を相続した後は信濃方面に侵攻し、1553年には北信濃を除いた
信濃国を支配するようになりました。

その後、信濃国に侵攻してくる越後国の長尾景虎(上杉謙信)を「川中島」で迎え撃ったり、
1544年に今川氏・後北条氏と同盟を組んだりします。
そして、1559年に出家して「武田信玄」と名乗るようになりました。

出家後は、各地に侵略したり近隣諸国の内紛に介入などを行いつつ領地を拡大していきます。
1572年には、将軍・足利義昭による織田包囲網に応じる形で出陣し、
織田氏と同盟関係にあった徳川氏の領地に侵攻しつつ上洛していきます。
ですが、上洛の途中で病に倒れ、1573年に53歳で死去しました。

※今回は略歴なので、ざっくり書いています。
 どこかのタイミングで、詳しく書く予定です。

銅像について

武田信玄公奉賛会が武田信玄の遺徳を偲び、山梨県民の気運を高揚させたいという目的で
1968年4月8日に建設を開始し、1969年4月12日に完成させました。

かつては甲府駅の前にあった噴水の南側に設置されていましたが、
甲府駅前広場の整備に伴い、1985年11月に現在の位置に移設されました。
川中島の戦いの時の姿をモデルとしており、山梨県のシンボルの1つとなっています。

ゲーム内画面

ゲーム内画面は、このようにアイコンとして表示されます。

他の写真

台座の上を拡大して撮影しました。太陽の位置の関係で顔部分が影になってしまいました・・・。

ですので、さらに拡大して顔部分がハッキリ見えるように撮影しました。
威厳があって、カッコいいですね。

アクセス

交通機関:1.東京駅から甲府駅まで、「在来線」と「特急列車」で約2時間
     2.甲府駅から現地まで、「徒歩」で約3分

終わりに

あれから、約3年ほど経ちました。
この日は、たまたま山梨県にて研修があり、その足で甲府駅に降りて撮影しました。
ただ、写真自体はそこまで撮っていないので、今回は少ないです。

また、ゲーム内画面の写真でも分かるかと思いますが、
電車の中からでもタップして受け取ることができます。
ですので、そのまま帰ろうかなと思いましたが、せっかく来たので1回降りました。
幸い、天気は快晴だったので、写真も綺麗に撮影することができました。
(まあでも、太陽の位置が悪かったので、顔部分が見づらかったですが。)

何かしらの形で再度山梨県に行くかと思います。
その時も再度寄って見に行こうと思います。
・・・さて、今日はここまで。次回も、お楽しみに!

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